運転の怖さと感覚に頼る難しさ
初めて車を運転したとき、“これって本当に人間ができることなの?”と思ったくらい難しかったです。自動車学校に通う前は、「運転って向いている人と向いていない人の差が激しいな」と漠然と考えていました。でも、実際にハンドルを握ってみて、その理由が少しわかった気がします。運転にはどうしても感覚に頼る部分が多く、それが向き不向きの差を生むのだと気づいたのです。
言語化の癖が邪魔をする?
筆者には、何事も感覚に頼るよりもしっかり言語化して手順を作ろうとする癖があります。この癖は、以前テニスをしていたときに身についたものだと思います。フォームや動きの一つ一つを言葉にして整理することで練習を重ねていたので、それが今も抜けないのです。
しかし、この癖が運転では逆に邪魔になることもありました。車の運転は、言葉では説明しきれない微妙な感覚が求められる場面が多いからです。その最たる例が、S字クランクや縦列駐車でした。
S字クランクで感じた感覚の難しさ
S字クランクといえば、自動車学校で最初に直面する難関の一つですよね。筆者も例に漏れず苦戦しました。曲がり角が見えない中、車をスムーズに操作するには感覚に頼らざるを得ません。しかし、言語化を重視する自分にとって、見えない部分を感覚で補うのは非常に怖く感じました。
特にS字の中でタイヤの位置を想像しながら進む感覚が難しく、何度もミスをしてしまいました。教官から「ここでハンドルを切って」と指示を受けても、自分の中で納得できる言葉として整理できないため、結果として感覚だけで進むしかありませんでした。
達成したときも、どこか腑に落ちない感覚が残ったのを覚えています。
縦列駐車の壁
もう一つ、筆者が感覚の必要性を強く感じたのが縦列駐車です。後輪が駐車したいスペースに入ったタイミングでハンドルを切る…という基本的な手順は教わりました。しかし、その“後輪が駐車スペースに入った”かどうかなんて、運転席からは見えませんよね。最初のうちは、その感覚がまったくつかめず、駐車に時間がかかることも多々ありました。
このとき、「これをどうやって言葉で説明するんだろう?」と考えてしまい、ますます感覚に頼るしかない現実に直面したのです。
感覚に頼ることの怖さ
運転にはどうしても感覚に頼らざるを得ない部分があります。しかし、大きな鉄の塊を高速で動かしている以上、感覚だけに頼るのは正直怖いと感じました。もしトラックなどの大型車が「なんとなく」で運転していると想像すると、身震いしてしまいます。
もちろん、経験を積むことで感覚が研ぎ澄まされ、大きな事故を防ぐ力が身につくことも理解しています。
学んだこととこれから
教習を重ねる中で、感覚を補うための方法も少しずつ学びました。例えば、S字クランクでは「ポールの位置を目印にする」といった具体的なテクニックが役に立ちました。また、縦列駐車ではミラーを活用して後輪の位置を確認する方法を教わり、少しずつ自信がついていきました。
運転は、怖さを感じる分だけ慎重になれるものだとも思います。これから運転を始める人には、自分のペースで感覚をつかむことをお勧めしたいです。そして、何よりも安全第一で、焦らず取り組んでほしいと思います。
おわりに
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。今回のブログでは、感覚に頼る運転の怖さや難しさについて書いてみました。みなさんも、運転で感じた怖さや苦労したエピソードがあれば、ぜひコメントで教えてください!
コメント